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■ギリシア哲学史をサクッと学びましょう

第2部


(BC470?〜BC399)

アテナイ・アロペケ区の出身。

父は石工(あるいは彫刻師),母は助産師だったと言われている。

多くの人々と「敬虔」「勇気」「徳」など,さまざまなテーマで対話=ディアローグした。


ソクラテスの対話は「正義,勇気,徳,節制(思慮深さ)」といった倫理的な,人のあり方をめぐる主題に向けられた。この対話の有り様を「産婆術」と呼んだが,それはすなわち「弁証法Dialektik」(対話・問答の技術)を指す(「弁証法」の起源はパルメニデスの弟子ゼノンにあるとされる)。


ソクラテスの探究の中心は,「魂(プシュケー)」をできるだけすぐれたものにする「魂への配慮」ということ。

ソフィストたちの弁論術を柱とする通俗的・現実的な理念に批判的立場をとって,自分自身の姿勢を「無知の知」として特徴づけた。

ソクラテスは1冊も本を書かなかったが,彼の思想は,プラトンの著作を通して知られることとなる。


ここでは興味深い一例として,プラトン初期の名作『メノン』(藤沢令夫訳,岩波文庫,1994)の一節を取り上げてみよう。

「人間は,自分が知っているものも知らないものも,これを探求することはできない。というのは,まず,知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら,知っているのだし,ひいてはその人には探求の必要はまったくないわけだから。また,知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は,何を探求すべきかということも知らないはずだから」(PP.45-46)


(BC446〜BC366)

アテナイ生まれ。


古代からライバル関係であったと言われるプラトンの『パイドン』に,ソクラテスの刑死に立ち会った旨記されているが,「ソクラテスを愛する」と公言する忠実な弟子であった。


多作家として有名で,64に及ぶ著作が後に10巻にまとめられている(誰がいつ頃編纂したかは不明)。


若い頃からゴルギアスに弁論術を学ぶとともに,ソクラテスの影響を受けつつ,二人の教えどちらとも取り入れた独自の思想を展開した。


シノペのディオゲネス(後出)の師であることから,キュニコス派の祖とされるが,彼の哲学の最大の特徴は,幸福や善の達成を「労苦」に見る立場である。

(BC435?〜BC355?)

北アフリカ・リビアのキュレネ出身。


ソクラテスの弟子として初めてソフィストとして活動し,授業料を取って教えていた。


人生や善の「テロス」(目的)を快楽におく快楽主義を主張するキュレネ派の祖であるとされる。


宮台真司氏が,『限界の思考』(北田暁大共著,双風舎,2005)の中で,アリスティッポスを取り上げている部分を引く。

「ソクラテス亡きあと,彼のいった自由をめぐって,ふたつの立場が分岐しました。キュニコス学派(犬儒学派)とキュレネ学派です。前者の代表はディオゲネスですね。ディオゲネスは自由は囚われによって失われるもので,囚われの源泉は欲望だから,禁欲こそが自由への道だとします。」

「アリスティッポスによれば,ディオゲネスに代表されるキュニコス学派は,欲望に囚われるかわりに,欲望から身をはなすことに囚われていきます。彼によれば,欲望の囚われるのでもなく,欲望回避に囚われるのでもないあり方がいい。だから彼は,欲望の自在にハマり,欲望から自在に退却する,いわば欲望への参入離脱の自由を賞揚することになります。」(p. 429)

プラトン

(BC427〜BC347)

師ソクラテスの刑死に衝撃を受け,地中海の各地を訪ねる12年に及ぶ遍歴の旅に出る。

アテナイに帰還後,郊外に「アカデメイア」という学園を創設し,哲学の教育を組織化していくことになる。


プラトンの著作は,驚くべきことに全てが現在まで残存している。

思想内容等から見て初期・中期・後期におよそ分けられ,代表作と言われているものを通説に従い各期ごとに列記しておくが,執筆時期の解釈には諸説存在していた。

初期:『ソクラテスの弁明』『クリトン』『ゴルギアス』

中期:『パイドン』『饗宴』『ポリティア(国家)』『パルメニデス』

後期:『法律』『ティマイオス』

【補足】

ベルクソンの『時間観念の歴史ーコレージュ・ド・フランス講義1902-1903年度』(Henri Bergson,藤田尚志・平井靖史・岡崎隆佑・木山裕登訳,2019,書肆心水,pp.116-117)には,ポーランド出身の論理学者・哲学者であり,古代ギリシア語の研究者であったヴィンツェンティ・ルトスワフスキ(Wincenty Lutoslawski,1863-1954)が,計量文献学的な方法(文体統計法)を用いて,プラトンの対話篇の時系列順の再構成へ到達した旨が紹介されているので,以下に整理しておこう。

①ソクラテス的対話篇 

『ソクラテスの弁明』『クリトン』『プロタゴラス』『メノン』

(30歳代~40歳前後まで)

イデア論の痕跡はない

②イデア論の素描を含んでいるいくつかの対話篇

『クラテュロス』『饗宴』『パイドン』

③イデア論が最も精確かつ明瞭に説明されている対話篇

『国家』『パイドロス』

④思索の批判期を画する対話篇

『テアイテトス』『パルメニデス』

⑤移行期でありながら新たな方向性に向かっていることが明瞭な対話篇

『ピレポス』『ソピステス』

⑥思索の最後の時期を示している対話篇

『ティマイオス』『クリティアス』『法律』

●プラトン その2

🔶プラトンの「イデア」とは何なのか?

イデア」は永遠の存在であり,感覚のなかで移ろいゆくものではない。理性によって「思惟されるもの」であり,不純なもの,曖昧なものは何も含まないものである。

本当の意味での実在が「イデア」界であり,現実の世界,感性界はその影であるということになる。

また,哲学史の中では,最も優れた感覚は「視覚」とされ,真理はしばしば光に例えられる。


人間の魂に理性と士気と欲求の機能を司る三つの部分があることを説いた,プラトンの代表作『ポリティア(国家)』の有名な「洞窟の比喩」に関する記述のなかで,そのあたりのことが見事に説明されている。


「知的世界には,最後にかろうじて見てとられるものとして,〈善〉の実相(イデア)がある。いったんこれが見てとられたならば,この〈善〉の実相こそはあらゆるものにとって,すべて正しく美しいものを生み出す原因であるという結論へ,考えが至らなければならぬ。すなわちそれは,〈見られる世界〉においては,光と光の主とを生み出し,〈思惟によって知られる世界〉においては,みずからが主となって君臨しつつ,真実性と知性とを提供するものであるのだ,と。そして,公私いずれにおいても思慮ある行ないをしようとする者は,この〈善〉の実相をこそ見なければならぬ,ということもね」

(『国家(下)』藤沢令夫訳,岩波文庫,1979,pp.101-102)


「イデア」の頂点に立つのは,〈善〉の「イデア」である。〈善〉とは「美しくよきもの」という意味。

もともと「イデア」という言葉は,ギリシア語の「イデイン(見る)」からきている。

「見られた真の姿」としての「イデア」の最高の姿は,最も「美しくよきもの」ということになる。

(BC427?~BC355?)

アテナイ・エルキア区出身。


ソクラテスの弟子の一人で,師の言行を書き残したが,哲学者としてよりも,歴史から小説,政治論などにわたる多彩な文筆活動で知られる。


クセノフォンの文章は,アッティカ方言の模範とされ,古代以来の教育に用いられたという経緯から,『ソクラテスの思い出』『ソクラテスの弁明』『饗宴』『家政論』(オイコノミコス)『ギリシア史』など14の著作は全て現存する。


ペルシアの内乱でペルシア王に対して反乱を起こした弟に傭兵として仕えたり(BC401~BC399),コリントス戦争(BC395~BC387)に参戦するなどした。

(BC436?~BC338?)

アテナイ・エルキア区の裕福な家庭で生まれるも,ペロポネソス戦争末期に財産を失うことになる。


家がまだ豊かだった青年期に,プロタゴラス,プロディコス,ゴルギアスらのソフィストやその影響下にあったテラメネスから教えを受けるとともに,ソクラテスからも影響を受けており,り,彼の死に際しては弟子として弔意を表した。


60ほどの著作品があったとローマ時代に報告されている。


歴史と政治実践にかかわる弁論術を哲学と考えるイソクラテスの理念は,数学的諸学や純粋理論に学問を見るプラトンの批判によってその後の「哲学」から排除されることになるが,広い意味での哲学教養を担う人文学(フマニタス humanitas)を生み出した点で哲学史において果たした役割は大きい。

(BC407?~BC339?)

プラトンの甥で,アテナイ・ミュリヌス区に生まれる。


プラトンの跡を継いで,アカデメイアの学園二代目学頭となり,学園運営だけでなく当時の政治情勢にも関わっていた。


多数の覚書(論考)と対話篇を書いたとされるが,一切残存していない。


数が二から始まると考えていた当時の他の哲学者たちと異なり,「一」が最初の数であり数の原理であると考え,そこから「二,三,……」という数の系列が生成すると考えた。

(BC396~BC314

アジア・カルケドンの出身。


BC339に,スペウシッポスの死去を受けて行われた学園成員による選挙にて,ヘラクレイデスとメネデモスに数票差で,アカデメイア第三代学頭に選出されるが,その後25年にわたって学頭として研究と指導にあたり,82歳で死去。


鈍重な性格で,鋭敏なアリストテレスと比較された。プラトンは二人と評して「一方には拍車が必要だが,他方には手綱がいる」と述べたと伝えられる。

(BC384〜BC322)

マケドニアの支配下にあった北ギリシアのスタゲイラに,マケドニア王アミュンタス三世の医師であったニコマコスの子として生まれる。


古代最大の哲学者。

プラトンの「アカデメイア」で約20年間学ぶが,プラトンの死後離れて,BC342年にアレクサンドロス大王の家庭教師となる。後にアテナイに戻ったBC335年に,学園「リュケイオン」を建設し,研究に従事した。


アリストテレスの研究領域は広範囲にわたっているが,著作の一部は散逸してしまっており,今日残されているものの多くは,リュケイオンでなされた講義ノートに基づくものと考えられている。


アリストテレスの学問の特徴は,各論考の最初に「問い」を明確に示し,先行学説を検討しながらその問いに答えていく方法にある。


主要な著作を一覧しておこう。

①論理学関係(「オルガノン(学問の道具)」として一括される):『カテゴリー論』『命題論』『分析論』『トピカ』

②自然学関係:『自然学』『天体論』『生成消滅論』『動物誌』『霊魂について』→普通『デ・アニマ』と呼ばれる。アニマは「魂(プシュケー)」のラテン語。アニマを持つものをアニマル=動物と言う。

③形而上学:『形而上学』

④倫理学・政治学関係:『ニコマコス倫理学』→ニコマコスは息子の名前。善と幸福の研究。『政治学(タ・ポリチカ)』→原題は「ポリスに関することども」

⑤制作術関係:『弁論術』『詩学』


【keyword】

❏リュケイオン:リュケイオンの名は,フランスの国立高等学校の名称「リセ」(Lycée)として現在にまで残っている。


❏『形而上学』:アリストテレスの主著。自身は「第一哲学」と呼んでいたもの。

自然学』は,古代のギリシア語ではピュシカphysikēsと呼ばれたが,「自然学の後(メタ)に収められて,それを超えるもの」という意味の「メタ-ピュシカ」という言葉が,後にアリストテレスの著作集を編纂する際に作られた。

自然学を超え,その基礎を探究する学問。「メタフィジックスMetaphysics」(形而上学)の語源。

アリストテレス その2

🔶アリストテレスの思想(1)

1 形相と質料


対になって使われる言葉。プラトンの「イデア」から形相の概念を,イオニア自然学から質料の概念を継承し,この二つのアルケーの組合せで〈世界〉を考えた。


◯形相(エイドス)――眼に見える「かたち」を意味するギリシア語「エイドス」に由来する。「種子」の意味もある。

ラテン語で「フォルマ」となり,英語のformの語源となった。

語源的に「イデア」と同義だが,アリストテレスによれば,形相(かたち)はただ個物(このもの),目前にあるものの中にしか存在しない→個物形相説

一方,プラトンの「イデア」は,個物を離れて存在する真の実在→実体形相説。

◯質料(フューレ―)――もともと材木,森の木を意味し,そこから素材,材料の意味となった。

【keyword】

❏第一質料:あらゆるものの「もとのもの」,さまざまな形相と結びつきながら,それ自体は変わることのないもの→アナクシマンドロスの「無限的なもの=レ・アペイロン」に似ている。


2 〈世界〉の四つの原因


アリストテレスは『形而上学』のなかで,哲学が棟梁=アルケーの学であり,観照=テオリアの知であり,第一のものども,すなわち,第一の諸原因を研究する王者の学であることを述べたあと,これまでの哲学を整理して得た四つの原因をあげている。

→「四原因説」

①本質・形相因――ものごとの「実体=ウーシア」であり,何であるか

②質料因――ものの質料であり,基体

③始動因――ものごとの運動がそれから始まる,その始まり(アルケー)

④目的因――ものごとの生成や運動が目ざすところの目的(テロス)

【keyword】

❏観照=テオリア(観想):見ること。「理論」(テオリー・セオリー)の語源。

アリストテレスは,人間の行為を三つに分ける。見ること(観照)ー行うこと(実践=プラクシス)ーつくること(制作=ポイエシス)→この順で尊い。


❏本質:アリストテレスが使った「ト・テイ・エーン・エイナイ(それが何であるか)」という言葉が,哲学史のなかで「本質」になった。


❏基体=ヒュポケイメノン:「〜の下に横たわる」という意味であり,「変化を通じて変わらないもの」のこと。


❏生成=ゲネシス:「質的な変化」をさす。


❏運動=キネシス:「場所的な変化」をさす。



3 十のカテゴリー


実体,すなわち「本当に”ある”」とはどういうことか?

「ある」という言葉には,「……がある」と「……である」という二つの使い方があるが,アリストテレスが重視するのは,「……である」の「ある」。

そして「それら自体においてあると言われるのは,つねに述語の諸形態によってそういわれるものどもである」とし,その”述語体”を『形而上学』において八つ(『範疇論』では十)の「範疇=カテゴリー」に分類する。

①実体・本質――その主語の何であるか

②性質=ポイオン――それがどのようにあるか

③量=ポソン――それがどれだけあるか

④関係=プロステイ――それが他の何かに対してどうあるか

⑤能動=ポイエイン――それのすること

⑥受動=パスケイン――それのされること

⑦場所=プー――それがどこにあるか

⑧時間=ポテ――それがいつあるか

(⑨状態――それがどんな状況にあるか ⑩所持――それが何を持ってあるか)


【keyword】

❏範疇=カテゴリア:もともとは「述語」という意味。どんなふうにあるか,ということに関する基本的な枠組みのこと。

アリストテレス その3

🔶アリストテレスの思想(2)

4 「実体」をどう説明するか?


さまざまな範疇で語られるものは変化するが,なかで「変化しないもの」というのが,「それが何であるか」すなわち「実体・本質」である。

アリストテレスは「実体」として考えられるものを四つあげている。

①形相(説明様式)

②類=ゲノス

③普遍=カトル―

④基体(質料)


【keyword】

❏普遍=カトル―(ユニヴァース・ユニヴァーサル):多くの同じ種類のものに共通のものの概念を意味する。対抗概念は個別(あるいは個物)。「普遍」が先か,「個別」が先かという問題は,これ以降の哲学史の争点のひとつとなる。



 5 可能態と現実態


アリストテレスは,「形相」と「質料」の結びつきを,可能なもの(可能態)と現実であるもの(現実態)という言葉を使って説明する。

「質料」だけでは可能的なものにとどまるものが,「形相」(かたちと目的)が結びついて初めて現実的なものとなる。「形相」を与えるものによって,可能的なものが現実的なものへと変化(生成)する。可能的なものは,「形相」へ近づくことを目ざすのである。


【keyword】

❏可能態=デュナミス(可能性・能力):ダイナミックの語源→「質料」に対応

❏現実態=エネルゲイア(現実活動):エネルギーの語源→「形相」に対応

不動の動者:「形相」の概念をさかのぼって考え出した「第一の形相」のこと。

ヨーロッパの哲学史では,「動かすもの」のほうが「動かされるもの」より上位。「動かすー動かされる」という二分法は,ヨーロッパ哲学の基本的な考え方のひとつ。

アリストテレス その4

🔶アリストテレスの思想(3)

6 アリストテレスの生命観


アリストテレスは,「魂=プシュケー」(cf.ソクラテスの項)についての研究をまとめた『霊魂について』のなかで,「魂」を,「生命を可能態としてもっている自然物体の形相としてあるもの」「可能的に生命をもつ自然物体の最初の完成態」「自らのうちに運動と静止の原理=アルケーをもっている特定の自然物体(生物)のロゴスである」と定義している。


「魂」はどのように生物を動かすのか? アリストテレスは,すべての生物に共通する「魂」の能力として,栄養の能力の次に「感覚」(視覚が最上位)の能力をあげる。


では,「感覚」はどのように作用するのか?

アリストテレスは,「感覚」を,質料を含まない感覚的な形相を受け入れるものであると考えたが,この捉え方の優れた点は,人間の抽象作用の出発点を「感覚」に見出していること。

「感覚」を通じて受けとる形相はまだ感覚“的”であるが,この形相をもう一度思い浮かべて思惟の対象とするときに,純粋な「形相」(形相の形相)を受けとることができるのである。


【keyword】

❏完成態=エンテレケイア:完全(テレイオン)なものという意味。

エネルゲイアがより進み,より完全になった状態をさす。




 7 人間はポリス的動物である


アリストテレスは,『政治学』の冒頭「人間は本性上,ポリス的動物(ゾーオン・ポリティコン)である」と定義している。

「本性上(→フュシス:この発想はアリストテレスの政治観・社会観の特徴),国(ギリシアの都市国家であるポリスのことで今日的な意味での近代国家ではない)や家はわれわれ個人より先にある」として,人間は個人としてではなく,ポリスの中で初めて人間になることができる,と考えた。


『政治学』においては,「家政=オイコス」の分析も重要。

「家政」は,夫と妻,父親と子,主人と奴隷の三つの関係を含むが,妻が夫に,子が父親に,奴隷が主人に従うという階層的な秩序を自然だと考えた→アリストテレスの世界観。そこで実現される秩序は,各人がその分を心得たアリストクラシーであった。


【keyword】

❏家政=オイコス:「経済=エコノミー」の語源。単なる家計のことではなく,財産や蓄財の方法,奴隷(農夫や職人)をうまく支配すること,農場や作業場のやりくりまでも含んでいる。


❏アリストクラシー(貴族制・優秀者支配制):国は支配する者と支配される者からなるというアリストテレスの基本的な思想。支配する者は,世襲的な貴族のことではなく,優秀な統治能力をもった人々のこと。

(BC371?~BC286?)

エーゲ海北東にあるレスボス島エレソスの出身。


アリストテレスの弟子というよりも年下の同僚であり,共同研究者であった。


48歳で学園リュケイオンを引き継ぐが,アリストテレスが引退前にテオフラストスとロドス出身のエウデモスの二人から後継者を選んだという逸話が伝えられる。

(エウデモスはその後故郷に戻り,ロドス学派を興してアリストテレス哲学を受け継いだ)


論理学,自然学,倫理学,政治学,弁論術,詩学といったあらゆる分野にわたり,きわめて多数の著作があったとされる。

なかでも,アリストテレスの倫理学に関連しつつ独自の視点をもつ叙述を行った『性格論(人さまざま)』は,今日まで最も著名な作品である。

(BC412?〜BC323)

黒海南岸のシノペの出身。出身地名からシノペのディオゲネスとも呼ばれ,アポロニアのディオゲネスと区別される。


アンティステネスと師弟関係にあった(とするとソクラテスの孫弟子に当たることになる)と言われているが,否定する研究者も多い。


アンティステネスは「単純な犬」とあだ名されていたが,ディオゲネスもその生き方から「犬」と呼ばれ,本人もその呼び名を逆手にとった逸話を残している。

彼らの系譜は後に「犬の」を意味する「キュニコス(犬儒派)」と呼ばれるようになるが,どちらに由来するかは不明。


プラトンを論敵にした逸話を多数残しており,プラトンのイデア論を生の現場から否定したディオゲネスの言動は,19世紀に「プラトン主義の転倒」を打ち出すニーチェらに受け継がれる。


壊れかけの大樽に棲み着いていたり,無為徒食で風変わりな人物所以の逸話も数多いが,したたかに生き抜きながら人を魅了するユーモアに溢れ,「魂の美しさ」をもつ清廉な人間性は現在でも多くのファンを惹きつけ,人気の哲学者の一人となっている。

フーコーは,最晩年の講義で,古代ギリシアにおける共同体の規範と自由な人間との関係を考察したが,ここで「価値を変えろChange la valeur」というディオゲネスへの神託が持つ意味に何度も立ち返り,考察を加えている。(重田園江『ミシェル・フーコー』ちくま新書,2011,p.22)

(BC342?〜BC271?)

快楽主義を唱えたヘレニズム時代の哲学者。

しばしば享楽主義と揶揄されることもあるが,エピクロスの追求した快楽は,むしろ隠者風の快楽,安心立命の境地に近い静かな快楽である。​そのような,私たちの身体と魂が苦痛や恐怖など他のいっさいのものにかき乱されない平穏な魂の状態を,アタラクシアと呼んだ。


​人を煩わすものであるとして公共的生活を避け,生涯結婚もしなかった。


「死はわれわれにとって無関係である。なぜなら,われわれが現在するときには死は現在せず,死が現在するときには,われわれは存在しないから」と言った。

【keyword】

❏ヘレニズム

アテナイの文化的卓越を範とするような,ギリシア人(ヘレネス)の文化を継いだ文化様式のこと。

歴史的時代区分としては,アレクサンドロスの死(BC323)からローマによるエジプト併合までの約300年間を指す。

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🔶エピクロス派とストア派

エピクロス派は,アテナイで始められた学問所「庭園」(エピクロスの園)と呼ばれる共同生活で思想活動を行った。

デモクリトスの原子論の考え方を受け継ぎつつ,人間の自然な快楽への欲求を肯定的に捉えることで,運命などへの過剰な不安や恐れを回避しようとする考えで,その主たる目標は「心の平安=アタラクシア」の達成ということにあった。

ストア派は,ゼノン(前出)によって創始され,エピクロス派へ激しい批判を展開したものの,思想の方向に関しては同様の視点がとられている。宇宙全体を支配するロゴスと個人の運命とが本質的に連関していると主張し,運命論の受容と禁欲によって心の平安を目指そうとするもので,ヘラクレイトス(前出)のミクロコスモスという思想が受け継がれている。

またストア派は,世界市民主義という発想をもち,ローマという世界帝国の現状に見合った道徳思想となった。

ちなみに,「ストア」とは,ゼノンらが語り合ったアテナイの広場(アゴラ)にある彩色柱廊のこと。

【keyword】

❏世界市民主義=コスモポリタニズム

理性をすべての人間がもっているゆえに,すべての人間は同胞であるとするもの。理性主義の思想の積極的な一面であるが,ローマ市民権のローマ的世界の拡大に対応していた。

(205?〜269?)

エジプト生まれ。新プラトン主義の創始者。

主著は,54の論考を弟子のポリュピリオス(後出)が編集し,主題別に9つの論考からなる6つのグループに統合した『エンネアデス(九篇集)』という題の論文集。


プロティノスの教説は,三つのヒュポスタンス(基体・位格),三つの実体の理論として提示される。頂点に「一者」,その下に「ヌース=知性」(ヌースは叡智とも訳されているが良い訳語はない)があり,その下に「ヌース」が展開した「魂=プシュケー」があるとする。この「魂」が「肉体(物質化しつつある魂)=物質」へ引き継がれる。

「一者」―「ヌース」―「魂」という世界の三分法は,キリスト教の三位一体論の成立に影響を与えたとされている。


ベルクソン(Henri-Louis Bergson,1859〜1941)によれば,プロティノス哲学の中核には「時間の問題が最重要の位置を占め」(『時間観念の歴史―コレージュ・ド・フランス講義1902-1903年度』書肆心水,2019,p.182)ており,プロティノスの「時間論」は,「意識論」「自由論」とともにその後の哲学史に大きな影響を及ぼしている。

【keyword】

新プラトン主義

最後のギリシア哲学であり,キリスト教が広まり,グノーシス主義という神秘主義が流行するという時代背景のなかで,神秘的なるものを,ギリシア哲学の伝統であるロゴスという方法によって合理化しようとした。


グノーシス主義

この地上の世界は,堕落した旧約の神ヤハウェ(エホバ)によって創造されたと唱えた初期キリスト教の最大の異端として知られる思想。

グノーシス主義の善悪二元論は,ゾロアスター教やマニ教と類縁関係があり,ギリシア化された東方(オリエント)思想がキリスト教にも影響を与えたときに,異端としてのグノーシス派が生まれた。

グノーシス主義がめざしたものは,神との合一を目途とする神秘的な知識であった。

キリスト教の教理は,グノーシス主義との闘いの内に作られたと言っても過言ではない。


❏一者=ト・ヘン

完全無欠ですべてのものの根拠となっているものに哲学が与えた呼び名。

善なるもの=タガトンとも呼ばれ,プラトンの善のイデアに由来するもの。

存在(パルメニデス)→善のイデア(プラトン)→一者(プロティノス)→全能の神(キリスト教)という完全なものの系列がこうしてできあがった。

(234?〜305?)

プロティノスの弟子で,師の伝記を著した。

多くの著作を残すが,なかでもラテン語訳が中世を通じて論理学の標準的テキストとなったことで有名な『エイサゴーゲー(入門書=手引き)』では,アリストテレスの『範疇=カテゴリー論』の紹介と理論的整理を行い,「普遍」という概念を,「類」「種」「種差」「固有性」「付帯性」の五つへとさらに分類している。


分類学においては,今日に至るまで,ポルピュリオスの論理学における実体の分類を図示した「ポルピュリオスの樹」の恩恵を受けている。

【keyword】

❏普遍(universals)

個人や個物などの「個的なもの」と対立する概念で,多くの個物をまとめた集合,性質のようなもののことを言う。

アウグスティヌス

(354〜430)

現在のアルジェリアの生まれ。初期キリスト教の理論化に最も大きな役割を果たしたキリスト教最大の教父。

『告白』や『神の国』などの著作で知られる。


青年期はマニ教の虜となり懐疑論に傾くなど曲折するが,人間の精神を超えた超越的なものが実在するという考えを新プラトン主義から学んだことが契機となりキリスト教に回心する。


アウグスティヌスが,(それまでのギリシア思想にはなかった)歴史を終末へ向かうものとした「終末論」を組み立てたことは,「歴史」にはじめて目的と意味をもたせ,近代の「進歩」思想へも影響を与えた。


【keyword】

❏マニ教

古代ペルシアのゾロアスター教から生まれたが,キリスト教の影響も受けている。ゾロアスター教同様,善と悪の二元論に立つ。


❏終末論

キリスト教の中心思想といってもよく,「最後の審判」として知られる。終末論の立場に立つとき,時間は救済へ向けての歴史となる。

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