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本の山

■ギリシア哲学史をサクッと学びましょう


第1部


●key terms

🔶先進文明からの影響

前3150年頃にはエジプトが統一され,第一王朝が開かれた。
メソポタミアでは,前4000年紀後半から末にかけてシュメールやアッカドの都市国家が興隆し,続いてアッシリア,バビュロニアへ王国を広げていく。
それから二千数百年の時を経て,古代ギリシアで哲学や科学が興るにあたっては,遥か「古代」から続く文明が存したそれらの地域から,知識や技術を学ぶ過程があったのである。

●key terms

🔶哲学の原点としての叙事詩

古代ギリシアには,前700年頃に活躍したホメロスヘシオドスを頂点とする叙事詩の伝統があり,哲学の営みはそれを受けて成立した。

❏ホメロス

『イリアス』『オデュッセイア』の二大叙事詩は後世までギリシア文化の基盤となった。

❏ヘシオドス

『神統記』では神話的世界観を,『仕事と日』では農民の倫理を代表している。

●key terms

🔶イオニア地方

古代ギリシアで最初に哲学の営みが興隆した地。

小アジア半島(現在のアナトリア)西岸の中央から南付近と,近接するエーゲ海の島々で,イオニア方言を用いるギリシア人のポリスが展開する地域。

具体的には,ミレトスを中心に,その北にあるプリエネ,エフェソス,コロフォン,テオス,クラゾメナイなどの諸ポリスと,サモス島,キオス島等である。

●key terms

🔶アルケー arkhē

「はじめ」の意,原因・原理でもある

哲学は,まず世界(コスモスkosmos=森羅万象,秩序→後出ピュタゴラスが最初に用いたとされている)の根拠(万物の始原,元のもの)を問うことから始まった。


ミレトス学派の三賢人(タレス,アナクシマンドロス,アナクシメネス)

眼に見えるもの,自然=フュシスについて思考し,自然のうちに〈世界〉のアルケーを求めた。

この三人の哲学者から始まるいわば合理的な思想の流れを,イオニア自然学ともいう。

(BC625?〜BC548?)

万物の原理は「水である」と語ったことにより,アリストテレスによって,アルケーの最初の探究者として「哲学の祖」とされた。


イオニア地方の中心都市ミレトスで活躍した。


最初の哲学者に数えられると同時に,伝統的な「知者(ソフォス sophos)」として数多くの逸話をもち,「七賢人」の一人にも数えられたが,著作を書いたかどうかは不明。

(BC610?〜BC546?)

タレスの友人で弟子。

ディオゲネス・ラエルティオスは,タレスではなく,アナクシマンドロスをイオニア派最初の哲学者に位置づけている。


著作を著した最初の哲学者とされる。

『自然について』『大地周行』『恒星について』『天球論』といったタイトルが古代には挙げられていた。


世界のアルケーを「無制約なもの(無限なもの)」と言った。

哲学の歴史に「無限」という概念を導入した意義は大きい。


タレスと同様に天体観測に関心を示し,グノーモン(日時計)を考案してスパルタに設置し,春秋分・夏冬至を観測した。

他にも,気象についての考察では風の役割を重視したり,大地の秩序にも関心を抱き,地図を制作したとされる。

(BC587?~BC527?)

アナクシマンドロスの弟子。

タレスの「水」,アナクシマンドロスの「無限」に対して,「空気」をアルケーとして提示した。


一つのものである「空気」がどのように他の事物に変化するかというメカニズムを「希薄化と濃密化」で説明する理論は,自然の多様な変容という自然学の説明を可能にした。


「空気」を宇宙の構成要素とする自然観は,エンペドクレスやアポロニアのディオゲネスの他,プラトンやアリストテレスにも受け継がれた。

(BC570?~BC470?)

イオニア地方コロフォンの生まれ。

生没年については推測の域を出ないものの,きわめて長命であったことは確かである。


詩人として孤高の活動していたと言われるが,哲学史上の位置づけが難しい人物である。後世にはさまざまな潮流に結びつけられ,その元祖に数えられた。


イタリアとも縁が深く,エレアの学派の祖とされてきた。

(BC540?〜BC484?)

イオニア地方エフェソスの創始者アンドロクロスの末裔にあたる「王(バシレウス)」の家に生まれたが,称号を弟に譲った。

風変わりな逸話が数多く伝わり,世俗を軽蔑する傲慢な人物とか「暗い人」「謎かけ人(アイニクテース)」とも呼ばれたというが,確証はない。


イオニア自然学の流れを汲む。〈世界〉のあり方を「変化」という姿で考えた。ヘラクレイトスによれば,〈世界〉は火から生まれ,火へと化すという過程が周期的に循環する。


著作断片とみなされる文章が120片あまり伝承され,現代の研究者によってさまざまに編集されている。

ニーチェやハイデガーはこの哲学者に魅了された。


「万物は流転する(パンタ・レイ panta rhei)」で知られるが,その格言は彼自身のものではない。

(BC572?~BC494?)

エーゲ海サモス島の生まれ。

ギリシア哲学史上最も有名な哲学者の一人だが,同時代から後代にわたる膨大な資料の大半が全く信頼できないという事情により,最も謎の多い人物。


哲学史で「哲学者(フィロソフォス=知を愛し求める者)」の語を初めて使った人物とされる。


数学,天文学,音楽を中核とする幅広い学識から根源を目指す問いを追究したことは疑いないが,この人物をどう捉えるかをめぐっては,研究者の間で見方に幅が大きい。


〈世界〉は「数」とその比例から成り立っていると考えた。すなわち「数」に〈世界〉のアルケーを見た。


「ピュタゴラスの定理」(三平方の定理)で名を知られ,19世紀までは最初の証明者であると信じられてきたが,今日では概して否定されている。


ミレトス学派とは正反対に,眼に見えぬものの内に〈世界〉のアルケーを求めるというピュタゴラス派の思想は,それ以後の哲学史の展開に大きな影響を与えることになる。

●key terms

ピュタゴラスとその弟子からなる学派は,いわゆる哲学者集団ではなく,さまざまな戒律をもって共同生活を送る神秘主義的な教団だった。

その中心的な思想は,神の不死に与る,魂を浄化して神と合体する(→オルフェウス教の考え)というもの。

世界最古の数学研究センターであり,素数の発見,奇数・偶数の区別,正多面体の作図等,初等幾何学の定理のほとんどがそこで発見された。


【keyword】

❏浄化 katharsis:もともとは「排泄」の意味。後にアリストテレスによって悲劇を説明する言葉として使われた。


オルフェウス教:ギリシア化された静かなディオニュソス信仰で,その後の哲学史の展開に深い影響を与えた宗教。

ディオニュソス:酒の神バッカスの別名。

ギリシアにとって野蛮な地フリギアトラキアから渡来されたという異教の神。

ディオニュソス信徒たちの秘儀は,狂乱のうちに踊りと痛飲が伴う狂騒の光景だった。

オルギア=狂騒:宗教的な秘儀,祭の意味。

cf.仲正昌樹氏が,著書(『〈ジャック・デリダ〉入門講義』作品社,2016)の『死を与える』解説の中で,

デリダとヤン・パトチュカ(チェコの哲学者,1907〜1977)の『歴史哲学に関する異教的試論』での記述部分

との差異を説明している箇所を引こう。

「パトチュカはキリスト教がオルギア(秘儀における陶酔的な礼拝状態)的なものを抑圧しようとしてきたけれど,それがいろんな局面で影響を発揮し続けていることを複雑に記述しているのですが,それをデリダは,キリスト教に内在する二面性として描き直しているわけです」(p.196)

(BC515?〜BC445?)

南イタリアのエレアの富裕な階層の出身。


パルメニデス以前は「世界のアルケー(=万物の始原)」という問いに対してさまざまな回答を提出してきたわけだが,万物は「変化しないものであり,分けることもできない」という立場から,「ある(エスティン estin)」を問題にし,根源の問いを徹底的に追及したことによって,初期ギリシア哲学を新たな場面へと導き,存在論そして西洋哲学そのものを開いた祖ともみなされている。

『詩』(断片六)

「あるもの〔のみ〕があると語り,かつ考えることが必要である。なぜなら,あるはあるが,無はあらぬからである」(『初期ギリシア自然哲学者断片集』第一巻,ちくま学芸文庫,2000,p.436)

「他方は「ない」,そして「ないがあらねばならない」という道。だがこれはまったく探りえぬ道であることを私は汝に告げる。なぜなら,ないものを汝は知ることもできねば(それはなしえぬことであるから),語ることもできないから」(同上,p.433)


(BC490?~BC430?)

シチリア島のアクラガス出身。


150ほどの真正断片が帰されており,古代での引用が最も多い初期哲学者である。


後世の評価では,エンペドクレスの詩は,論理的ではあるが詩としてぎこちない印象のパルメニデスと比べて,文学作品としても一級の韻文と賞賛されている。


イオニア自然学の世界観を継承し,万物の根=土・水・風・火(基本要素)の混合分離で〈世界〉の生成消滅を説明しようとした。

(BC470?~BC385?)

南イタリアのクロトン(あるいは隣国のタラス)出身。


自然学を存在論,宇宙論,音楽論,魂論,医学説など多方面から論じていた。


「ピュタゴラス派」とされる理論の中核は,じつはフィロラオスの哲学であるとも言われており,アリストテレスが「ピュタゴラス派」として紹介する思想の基本がフィロラオスの学説であることは現代ほとんどの研究者が認めている。


プラトンは彼の哲学から大きな影響を受けたとされる。

(BC428?~BC347?)

南イタリアのタラス生まれ。

フィロラオスに師事したピュタゴラス派の哲学者,数学者。


多数の著作があったようだが詳細は不明。

数学と音楽の理論家として優れた業績を残し,機械論を数学的に体系化した最初の学者ともみなされていた。

(BC480?~BC400?)

イオニア地方サモス島出身。


哲学史上で,パルメニデスを継ぐエレア派に位置づけられてきたパルメニデスの弟子と伝えられるが,年齢差から二人が直接に知り合いであったとは考えにくいという説もある。


アリストテレスがメリッソスの議論が誤謬推論に満ちていると断じるなどしたことから,後世に低い評価した受けなかった。

(BC500?~BC428?)

イオニア地方クラゾメナイの有力で富裕な家の出だったが,相続した財産は身内に譲り,ポリスの政治には一切関心を示さなかった。


イオニアの自然哲学をアテナイに導入した中心人物で,パルメニデスの一元的な存在論に対抗し,それに応答しながら自然学を哲学的に再構築した。


原初には,さまざまな事物を構成する基本的な要素=種子が雑然とした状態で存在していたが,理性(nous)が現れたことで,秩序が与えられるようになった,と主張した。


ライプニッツは,アナクサゴラスに最も近い発想をした哲学者と言われる。

(BC460?〜BC370?)

トラキア地方アブデラの出身とされる。


著作は,倫理学関係,自然学関係(『小宇宙論』『知性について』『形状の相違について』等),数学関係(『幾何学について』等),芸術関係(『詩作論』『ホメロス論』等),技術関係と多岐にわたっており,彼の平明な文体は,優美さにおいてプラトンと並んで高く評価されていた。


〈世界〉の要素を充てるもの(=あるもの)と,空なるもの(=あらぬもの)に分けた。充てるものをアトム(アトマ)と呼んだ。

近代の原子論に通じている思想。

●key terms

職業的知識人で弁論術の教師として活躍,「徳」(今日で言う一般教養→文法学,論理学,修辞学,倫理学,政治学などの学問)を教授した。


「哲学者」ではなくその偽物であるという見方や偏見が現在でも根強く,哲学史での位置づけをめぐる問題が存在する。


古代の著述家たちは,ソフィストとしてプロタゴラス,ゴルギアスヒッピアスブロディコス,ポロス,トラシュマコスの名を挙げるのが通例であったが,彼らは皆プラトン対話篇の登場人物である。

プラトンは「ソフィスト」を以下のように規定し,「知者を(見かけだけ)真似る者」と最終定義した。

①徳を教えると公言する

②裕福な若者を捉え生徒にする

③教育のために授業料・金銭と取る

④ギリシア各地を旅し一所に定着しない

⑤語りの技術を演示し教育する

⑥特定分野の専門ではなく多くの主題に知がある


アリストテレスも,プラトンの定義を受け入れ,「本当のではない,見かけの知恵で金銭を作る者」と規定しており,以降否定的なイメージが定着することになる。

(BC490?〜BC420?)

トラキア地方アブデラの出身で,デモクリトスと同郷。


「ソフィスト(ソフィステース)」という呼称を最初に職業名として使い始めたことが,プラトンの『プロタゴラス』に明記されている。


有名な「人間尺度説」を冒頭に含む『真理』と『神々について』が代表的著作と言われている。


「相対主義」の始祖として哲学史上大きな意味をもつが,資料の不完全さにより,まとまった研究は遅れている。

●ゴルギアス

(BC487?~BC376?)

シチリア島レオンティノイ出身。


「言論の技術 ロゴーンテクネー」(後に「弁論術 レートリケー)」という名称で定着)と呼ばれる,有力者の家のような私的空間や祭典や議会などの公的空間など,どのような状況下でもさまざまな主題を論じる能力を誇っていた。


弁論術の教師として数多くの弟子がおり,修辞技法についての影響力は絶大であった。

(BC490?~BC430?)

ストア派の創始者であるゼノン(キティオンのゼノンと呼ばれる)と区別し,「エレアのゼノン」と呼ばれる。

生涯、パルメニデスの弟子であるが,同時に愛人でもあったと言われている。


ゼノンのパラドックス」を唱えたことで知られる。これについては,アリストテレスが『自然学』で引用して以来,歴史上の錚々たる学者連によって取り上げられてきた。

中でも「アキレスと亀」が有名→ダグラス・R・ホフスタッターの大著『ゲーデル,エッシャー,バッハ』では,「“アキレスと亀”の掛け合い問答」が狂言廻しの役割を果たしていて興味深い。


プロディコス

(BC465?~BC395?)

エーゲ海ケオス島の出身。


自然学にも通じたソフィストで,言論の技術つまり弁論術の教授を中心に活動していた。


言葉の使い方に関心が向けられ,「言葉の正しさ orthoepeia」が中心テーマであった。

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