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HONNO徒然

HONと’ANO’Iな関係

さまざまな本との出会いをお愉しみください

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世界の意義は世界の外になければならない。世界の中では全てがあるようにあり,全てが生起するように生起する。世界の中には価値は存在しない。そして仮に存在するとしても,それは価値を持たないであろう。

ウィトゲンシュタイン

『論理哲学論考』6・41

(大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集1」,p.116)

 

 

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世界はそこに在る,しかし世界の記述はそこにはない。世界の記述だけが,真か偽になることができる。世界そのものだけではーつまり人間存在が記述行為によって補助しなければー真や偽になりえないのである。

リチャード・ローティ

『偶然性・アイロニー・連帯』

(岩波書店,p.17)

ニーチェ

真の世界を私たちは除去してしまった。いかなる世界が残ったのか? おそらくは仮象の世界か? ・・・だが,そうではない! 真の世界とともに私たちは仮象の世界をも除去してしまったのである。

ニーチェ

『偶像の黄昏』

〈いかにして「真の世界」が最後には寓話となったか〉

(ちくま学芸文庫「ニーチェ全集14」,p.47)



キルケゴール

現代は本質的に分別の時代,反省の時代,情熱のない時代であり,束の間の感激に沸き立っても,やがて抜け目なく無感動の状態におさまってしまう時代である。

キルケゴール
『現代の批判』
(中公クラシックス,p.259)

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すべて進歩によって改善されるものは,同じく進歩によって滅びる。すべてひとたび弱かったものは,決して絶対に強くはなりえない。「彼は成長した、彼は変わった」と,人がいくら言っても,むだである。彼はやはり同じである。

パスカル

『パンセ』第2章88(ラフュマ版全集77)

(中公文庫,p.76)


チェーホフ

科学というやつは,偏見の土壌に生い立ち,偏見によって育まれ,今でも偏見を基本性格としている。(中略)いったいぜんたい,科学は人類に何をもたらしたか。

チェーホフ
『退屈な話』
(岩波文庫,p.319)

ドゥルーズ

神話の中に,生の可能性は存在しない。神話の中で生きることができるのは神話だけだ……。


ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ

『アンチ・オイディプス―資本主義と分裂症』(下)

(河出文庫,p.157)




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いったい文明がわれわれのどこを温和にしてくれるというのだ? 文明が人間のうちに作りあげてくれるのは,感覚の多面性だけであり……それ以外には何もありゃしない。

ドストエフスキー

『地下室の手記』

(新潮社「ドストエフスキー全集6」,p.110)

 

 

アレント

快楽とは,それ自身を楽しむものではなく,それ以外のなにかを楽しむものである。ところが,苦痛は内省によって発見された唯一の内部感覚であって,経験される対象と無関係であるという点では,論理的で算術的な推理の自明の確かさに匹敵する。

ハンナ・アレント
『人間の条件』
(ちくま学芸文庫,p.484)

スピノザ

精神の中には絶対的な意志,すなわち自由な意志は存しない。むしろ精神はこのことまたはかのことを意志するように原因によって決定され,この原因も同様に他の原因によって決定され,さらにこの後者もまた他の原因によって決定され,このようにして無限に進む。

スピノザ

『エチカ』(上)第二部定理48

(岩波文庫,p.184 )


ドゥボール

スペクタクルは哲学を実現するのではなく,現実を哲学化する。すべての人の具体的な生が,思弁的な(spéculatif)世界に堕落したのである。


ギー・ドゥボール

『スペクタクルの社会』

(ちくま学芸文庫, pp.21-22)




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