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私は「東京2020」開催に断固反対します!(2019年11月3日)

更新日:2023年3月29日


 2020年の東京オリンピック(五輪)・パラリンピック,いわゆる「東京2020」(7月24日~8月9日)まで残り300日をきり,各種メディアも喧しいことこの上ないが,私は,この期に及んでも開催そのものに「反対」を唱えている。

  

 むろん「お金」にかかわる問題は大きい。

 国が支出した関連経費に大会組織委員会と東京都が見込む事業費の総計が,当初の予算を大幅に超過して,3兆円を超えるまで膨れ上がっているというのだから尋常な事態ではなく,真っ先の反対理由にあげて然るべきだ。

 “大丈夫ですヨ,経済波及効果はその10倍に及ぶのだから”という皮算用をどれだけ示されても,「今」「この時」に莫大な額を費やす理由付けとしては甚だ心許ないし,楽観的すぎるといった誹りを免れないのではないか。

 

 加えて,大会後に残る有形無形のレガシー,すなわち「社会的遺産」(ソーシャル・キャピタル)・文化的財・環境財の後利用構想についても,これまでの「五輪レガシー」の例を引くまでもなく,かなり「眉唾モノ」めいていておいそれと首肯できるものではない。


しかし,そうは言ってみても,「お金」にまつわるさまざまな疑問や問題点については,それを如何にして詳らかにするのか,実際詳らかにできるものなのか否かも含めて,何某かの結びを検証するためには「その時」を待たねばならず,ここではひとまず置いておくこととする。

 

 そこで,反対理由を二つに絞ってみた。


 まずひとつ目。

 それは,東京五輪の名目に「3・11」をわざわざ担ぎ出した,“御為ごかし”ここに極まれりといった態の姑息な手法,無責任・不誠実な姿勢に対して憤りを感じるからである。

 

 久米宏氏や荒川強啓氏などの有名どころも,低劣な同調圧力に屈することなく,以前から明確に「反対」を表明してきてはいる。



 だがここでは,2018年3月14日の「朝日新聞」(17面)「オピニオン& フォーラム」で取り上げられた〈復興お仕着せの「絆」〉という記事に手助けをお願いすることにする。

 

 自身「3・11」で自宅が半壊したという,岩本由輝氏(東北学院大学名誉教授)が,記者のインタビューに対して次のように応じている。


 ―2年後には「復興五輪」を掲げた東京五輪が開かれます。福島を拠点に取材をしていると,盛り上がるのは国や自治体ばかりで,被災者は冷めて見ているように映ります。
「行政側は,景気づけに利用しようと思っているのかもしれません。でも,そんなことに乗れない気持ちの人は,少なからずいます。被災地の人間としては,ひとの不幸をキャッチフレーズにしないでほしい。東京五輪は東京五輪として,やればいい。誘致活動を始めたときは想定外だったのに,震災と原発事故が起きたかといって利用するのは,安直というか,無責任な感じがする。何事もなかったら,どんなキャッチフレーズを使っていたのか,開催中だけ盛り上がり,終わってみれば,もとの復興途上の被災地が残っていたとなれば,目も当てられない。復興五輪だなんて,まるで東京が復興するみたいだ」

 

 いかがであろうか。

 正鵠を射すぎていてぐうの音も出ないのではあるまいか。

 

 思えば,近頃「復興五輪」なるフレーズをめっきり見聞きしなくなったような気もするが,そう感じているのは,私だけだろうか。

 

 今一つの理由。

 これはあまりに好悪丸出しの個人的感情からゆえ大いに説得力に欠けてしまうところもあるのだが,以前よりその人品に多分の胡散臭さを感じている森喜朗という人物が,公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長という立場にあるからである。

 周知のように,森は,かつて内閣総理大臣(第85・86代)の座にあったわけだが,その地位も前任の小渕恵三が脳梗塞で急逝したために,時機に投じて転がり込んできたものと言われている。

 もとよりそのような器の人物でもなく,当然,内閣支持率は低調を極め,不人気著しく,わずか一年余りで退任に追い込まれた。

 

 菅直人や鳩山由紀夫,また宇野宗佑といった面々が,「史上最低の首相」候補として常に登場してくるが,私は,やはりこの森喜朗に一票を投じたい。

 (ちなみに,安倍晋三も十分な有資格者ではあろうが,「最低」より「最悪」のほうが形容としては見合っている)。

 

 「神の国」発言に代表される失言癖も格別だが,官僚との打合せの場で「IT革命」を「イット革命」と述べた一件など,その手のゴシップ的情報には事欠かない。

 『週刊ポスト』(2016年9月2日号)の「嫌われるジジイ調査」では,舛添要一に次いで堂々の2位を獲得,「百害あって一利もない人物」と散々に評されている。

 

 ただ,ここで取り上げるべきはそんな森の「無能伝」ではなく,「オリンピック利権」に絡む,よりホットな話題のほうである。

 

 そもそも,森が東京五輪組織委員会の会長の座に就いた経緯からして相当に怪しい。

 本人は当初財界の大物を推していたそうだが,本心は全く別のところにあったようで,自身が領導する派閥「清和会」や官邸に密かに働きかけてその座を射止めたということである(『週刊新潮』2015年8月13−20日号)。

 

 何も得るものがなければ,びくとも動かないのが政治家である。そうまでして「会長」の座に執着した裏には”何かある”,とふつう誰もが思ってしまうはずだ。

 まして,スポーツ界のドンに長らく君臨し,「(スポーツ)利権」の多大な恩恵に与ってきたであろう男が,「私は無報酬……」などというセリフを今更吐いてみても,本気で受け止める人間はまずいないだろう。


 『週刊文春』(2016年9月15日号)でも,「森喜朗親密企業が五輪案件を続々受注」なる記事内容で追及されて裁判沙汰にまでなっているが,何にしても「(オリンピック)利権」目当てに老体に鞭打ち暗躍していることだけは想像に難くない。


ついでなので,もう一つあげておくと,「特定非営利活動法人東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会及び東京都」が提出した,東京五輪立候補ファイルのp.13「全体コンセプト2.1」に記載されている下記文言も笑止千万である。


「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。また夏季休暇に該当するため、公共交通機関や道路が混雑せず、ボランティアや子供たちなど多くの人々が参加しやすい。さらに、この時期は 日本全国で伝統的な祭が多く開催される時期であることから、祝祭ムードが漂っている。また、重要な点として、この開催期間は他の大規模な国際競技大会とのスケジュールと重複しておらず、東京においても大会開催に影響を及ぼすような大規模イベントの開催を予定していない。


このファイルを作製・提出した招致委員会の当時の理事長が,大会招致を巡る贈収賄疑惑問題に晒されたあげく,ようやくにして表舞台から退いてくれることになったあの竹田恒和である。

 滑稽で欺瞞に満ちた誘い文句一つからだけでも,「東京2020」の如何わしい正体が透けて見えるのではないだろうか。 

 

 「オリンピック」は,「平和の祭典」でも何でもなく,特定の権力機構なり,特定の企業体なり,特定の人間なりが潤うように仕組まれた,“金儲け”のためだけにある商業イベントでしかない,などと今更喧呼してみたところで虚しい現実がある。

 “そんなことは先刻承知” “それで何が悪い”と居直られてみると,案外,正面切っての反論にも骨が折れるのである。


 ともあれ,〈政・官・財〉あげて「(オリンピック)利権」に血道を上げている連中の姿を,森や竹田といった権力者の下の下の下で,無理無理詰め込んだスケジュールのなかで日々準備作業に追われている組織委員会の職員の方々や,汗みずくで過酷な作業労働に取り組んでおられる現場の方々のご苦労に思いを馳せつつ,とりわけ「3・11」の被災者の方々がどのように眺めているかに想像力を巡らせてみた,ささやかな抗いの残痕を披瀝した次第である。






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