大学教育のありようと「教養」の行方を追って(5)
- Naoyuki Himeno
- 2019年10月30日
- 読了時間: 9分
更新日:2020年4月16日
❒Eラーニング(electronic learning)
❒ブレンド型学習(blended learning)
——教室での「対面式教育」と「ICT(「Information and Communication Technology」の略,情報伝達技術)を用いた教育」を組み合わせた(ブレンドした)学習形態
❒アンケート型授業評価調査
高等教育市場の本来の主役とされた,消費者としての学生たちの要望に応えるべきだということは,提供されたサービスの満足度に関するアンケートの義務づけという,旅行者になじみの手法をもたらすことになった。そこでは,授業が理解できたか,取り上げられた文献は読むことができたか,新しいメディアは用いられたか,Eラーニングの手法は取り入れられていたか,試験要項は公表されたか,講師の表現に性差別的思想が表れていなかったかといったことが問われるようになる。(pp.81−82)
〜さまざまな様式のアンケートでは,難しいテーマや問題に取り組む準備が必要で,厳しい試験をともなう要求度の高い授業よりも,実質的でない授業のほうが学生に評価される傾向にあることが示されている。
このような授業評価の意味は実際の信頼性とか影響力にあるのではなくて,内部的運営手法の構築への影響力にある。(p.82)
多くのアンケートにおいて新しいメディアの使用が中心的地位を占めていることは,企業によるレベルの低い研修セミナーから借用された新しい大学教授法が,Eラーニングとブレンド型学習は革新的教授法の極北にあると呪文のようにとなえているところの,広く普及した熱狂的信仰に関係している。(p.83)
❒ヨーロッパ高等教育圏
ヨーロッパの高等教育の惨状を呼び慣わす一つの名がある。ボローニャがそれである。1999年にボローニャで,ポスト中等教育の体制をアングロ・アメリカン・モデルを表層的に模した〔学士・修士・博士の〕三段階から成るシステムへと転換することが,ヨーロッパ各国の担当大臣によって合意されたが,それは,研究者や学生を同一の基準で比較可能にし,そうすることで彼らの流動性を高めるべく,単一のヨーロッパ教育圏を創設しようとするアイデアに端を発するものであった。(p.92)
このプロセスが開始されたのは,1998年5月にフランス,ドイツ,イギリス,イタリアの教育担当大臣が発した「ソルボンヌ共同宣言」によってである。この宣言では,学修の〔他国の大学への〕参入を容易にするために,ヨーロッパの高等教育制度の統一的な枠組みをつくることが提案された。(中略)
ソルボンヌ宣言は〔教育制度を統一していこうという〕意思表明への同意に留まるものであったが,ここからさしたる議論もなく導出されたボローニャ・プロセスとは,ヨーロッパの高等教育制度の改変をすべての国に義務づけることに対する同意に他ならない。これは,教育の問題に関してEU法で保証されている国民国家の権限をみずから放棄することに等しい。(p.93)
🔵ソルボンヌ共同宣言
❒ヨーロッパ単位互換制度
ボローニャ・プロセスのとりわけいかがわしい側面の一つに,「ヨーロッパ単位互換制度」(ECTS)に基づく学修成績の計算がある。このやり方に寄与すべく,ドイツでは「クレジット・ポイント」(ECTSの基本となる単位数)なる大層な概念の制度化が始まっている。当の概念を用いて,学生が一定の学修目標を達成するために必要とされる「学修量」(workload)すなわち「就学時間」(Arbeitsaufwand)が名目的に測定されるのである。(p.99)
❒エリート教育
❒センターオブエクセレンス(center of excellence)
——優秀な研究者と最先端の研究設備を有し,世界的に評価される中核的研究機関。アメリカの国立衛生研究所やフランスのパスツール研究所などが代表的。COE 。(『大辞林』より)
❒エクセレントクラスター
第二次大戦以来,エリートやエクセレントといった概念が教育の専門家たちの語彙に中に表れることはなかったが,ここ数年でそうした概念は,彼らの語彙のレパートリーの中で確固たる地位を占めるようになったばかりか,エリート機構の構想についてはもはやいかなる批判も許されえないかのような雰囲気が,それらの周りを取り囲んでいる。最高記録や最先端の業績の達成に血眼になっている社会は,学問もまたそうした原理に従って組織化されるとしか考えられないのである。(p.118)
エクセレント教育やエリート教育あるいは重点教育を新たに集中化しようという試みの弊害は,学的営為のなかで傑出した業績を追求し,しかもそれは最良の知性と良心によってこそ支えられるべきものであるという,当の試みを先導する理念にあるのではない。問題はむしろ,その後で生じた空虚な精神,すなわち,研究上の要請を推し進めることを結局はやめてしまい,あらかじめ設定された目標のイメージどおりに学問をプランニングすることに終始する姿勢にある。(p.119)
❍「世界の大学事情」から❍
「世界の大学事情」は,文部科学省「イノベーション経営人材育成システム構築事業」大学トップマネジメント研修で連携をしているボストンカレッジ国際高等教育センター(Boston College Center for International Higher Education)が,定期的に刊行している「International Higher Education」に掲載されている記事を翻訳し,世界の大学事情や,アカデミアを取り巻く主要なトピックを紹介するものです。
🔶第8回その1:『世界トップクラス(World-class)の大学をつくるためのエクセレンス・イニシアチブは機能するか?』(Excellence Initiatives to Create World-Class Universities: Do They Work?)(IHE #87: 2016)
Jamil Salmi(世界高等教育専門家,元世界銀行高等教育コーディネーター)
「世界トップクラス」の大学を作る改革のプロセスを加速するため,中国,デンマーク,フランス,ドイツ,日本,ロシア,韓国,スペインなどの政府は,大学セクターの実績を強化するための大型の追加資金の注入からなる,いわゆる「エクセレンス・イニシアチブ」に着手した。これらのプログラムの多くは過去10年あるいはそれよりも最近に始まったばかりであるものの,参加大学に著しい影響を与え始めている。したがって,これらのエクセレンス・イニシアチブがどれほど効果的であるかを評価し,最近の,また継続中の経験から教訓を引き出すことが不可欠である。
特に東アジアと北欧諸国での最初のエクセレンス・イニシアチブには,高等教育による経済発展への貢献を強化するための長期的な国家政策が反映されていたが,最近のエクセレンス・イニシアチブの波は主に世界ランキングによって刺激されたと見られる。大学の合併や提携を促し国内の大学の知名度を上げようとした2012年のフランスにおけるイニシアチブ,また,国内のトップ5大学について2020年までに世界ランキング100位以内入りを目指すと明示したロシアにおける2013年アカデミック・エクセレンス・プロジェクトはまさにそうであった。その結果,エクセレンス・イニシアチブの大部分は,優秀な学者を獲得するためのメカニズムとして大学の国際化を促進し,結果として主要大学の研究能力の強化と,アカデミック・インブリーディングの削減に努めてきた。
エクセレンス・イニシアチブ評価の難しさ
エクセレンス・イニシアチブの対象となった大学へのイニシアチブの効果と影響を測定することは,時間と帰属という少なくとも2つの理由により,容易ではない。まず,大学のアップグレードには最低でも8年から10年と,長い時間がかかる。多くのエクセレンス・イニシアチブはかなり最近のものであるため,成功を測る試みはほとんどの場合時期尚早かもしれない。イニシアチブ対象大学の科学的成果の生産が,エクセレンス・イニシアチブ開始直後の最初の数年間で大幅に増加するとは考えにくい。したがって,徹底的な分析を行うには,比較のため特定の国内あるいは複数の国のかなりの数の機関のサンプルを長年に渡って見る必要がある。2番目の課題は帰属に関連している。たとえ大規模な機関のサンプルに基づいて統計的な相関関係が特定できたとしても,エクセレンス・イニシアチブがどのように実際に正の変化を引き起こしたかを確立するには,詳細な評価が必要となる。
最近のエクセレンス・イニシアチブの影響に関する分析が存在していない中,過去10年間(2004〜2015年)の世界大学学術ランキング(上海ランキング)のトップ大学の成績を比較することでいくつかの洞察を得ることができる。最も進歩した4つの国は,中国(トップ500に24大学を追加),オーストラリア(5大学を追加),サウジアラビアと台湾(それぞれ4大学を追加)である。この4カ国では全て,1つ以上のエクセレンス・イニシアチブが実施され,トップクラスの大学を支援するための持続的な投資が促進されて来た。
リストの一番下の主要な「敗者」は日本と米国で,2014年のトップ500にランク入りした大学数が日本は15大学,米国は24大学,10年前に比べて減少している。米国の場合,公立大学がランク外に落ちた割合が比較的高く,2007年の金融危機以来の公的補助金の大幅削減の悪影響が確認される結果となっていることは興味深い。
高等教育機関のレベルでは,過去10年にランキングを最も上昇させた5大学(中国の上海交通大学と復旦大学,サウジアラビアのキングサウード大学,フランスのエクス=マルセイユ大学,テクニオン– イスラエル工科大学)は,それぞれ自国のエクセレンス・イニシアチブから資金援助を受けている。
🔵世界大学学術ランキング(上海ランキング)
❒知識マネジメント
知識はいまや個人的・社会的な教養のプロセスとの結びつきを喪失し,それゆえ,もっぱら利用可能性という基準に従って流通ないしは処分される素材として取り扱われている。だからこそナレッジ・マネジメント(知識管理)なるものが存在するのである。そうだとすれば,知識社会ほど知識を侮蔑した社会はないといえる。なぜなら,知識社会にとっては真理も教養も重要な問題とはならないからである。実際のところ,現代における知識マネジメントにとって重要なのは,例の不文律,すなわち〈汝,認識すべからず〉である。(p.147)
「知識マネジメント」は総じて,知識の問題に救済をもたらす新たな教養と見なされるようになった。知識管理者は教育の専門家に代わってその役割を果たすようになり,そればかりか教育者ひいては学者までもが,みずからを知識管理者と了解しているようである。こうした考え方が可能なのは,知識社会が知識と真理の連関を断ち切ってしまったからに他ならない。(p.148)
❒知識の決算表
今日における知識の呈示法のうちに察知しうるのは,知識のより一層の軽視をそれが示唆しているということである。単純な文章と過剰に飾り立てた概念がパワーポイントで投影され,それをこれまた単純に読み取るという悪習は,いまや企業内でのプレゼンテーションのみならず,学問的なシンポジウムや大学でも見られるが,それは聴衆を侮蔑することであると同時に,かつて講演文化と呼ばれていたものの完全な喪失を意味している。(pp.151−152)
こうした愚行を大学固有の知と潜在的な反省能力に基づいて批判する代わりに,軽やかに通り過ぎていく現代化の波に乗り遅れるわけにはいかないというパニック的な不安に駆り立てられて,大学は当の愚行を進んで受け入れている。果たしていまや大学までもが,剥き出しの数字と色鮮やかな図表で自らの価値に箔をつけるべく,企業という手本に倣って知識の決算表を作成することを余儀なくされるという事態が生じたのである。(p.153)
❒新学修プラン
オーストリアの多くの大学で2002年になってようやく効力を発した「新学修プラン」は,その時点で直ちに再改革することを余儀なくされた。なぜならいまや,教育に疎い教育担当大臣たちの協定によってつくられたヨーロッパ〔共通の〕学修構造が,すべての基礎となっているからである。(p.172)
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