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大学教育のありようと「教養」の行方を追って(2)

更新日:2020年3月6日

 次に参照したいのは,『教養主義復権論―本屋さんの学校Ⅱ』(明月堂書店,2010年1月20日初版発行)です。

 

 初版発行からおよそ10年の時を経てはいますが,日本の「大学教育」や「教育改革」をめぐる状況は,当時と少しも変わっていないどころかますます混迷の度を深めるばかりですので,議論を後退させることにはならないでしょう。


※ 明月堂書店さんが取り組んでいる「本屋さんの学校」という連続企画の一環として,三省堂書店神保町本店において2009年上半期に3回にわたって開催された「学問の復権」という講座の音声記録を文章化して,加筆修正を施したものです。

 仲正昌樹氏(金沢大学)を講師に迎え,各回,浜野喬士氏(明星大学)・大澤聡氏(近畿大学)・白井聡氏(京都精華大学)の三氏を聞き手として招いて,講座の後半部では対談も展開しています(各氏の所属は,2018年3月現在のものです)。


 

 本書は「大学教育」そのものを俎上にあげているわけではないものの,大学における「教養」科目の減衰等に関しても興味深く切り込んでいて,「教養」の本来のあり方と今日の「大学教育」が抱える問題点をうまく接続した示唆に富む内容が盛り込まれています。

 

 関連する議論のたびに取り上げていくことになるかもしれませんが,ここでは,さしあたり以下の箇所だけを見ておきましょう。

 

 「大学政策の現在」という節のなかで,白井聡氏が,主観的意見と断ったうえで次のように語っています。

 

 今現在,大学は非常に混乱の時期にあると思います。非常に象徴的だったのが,先月5月31日付(2009年)の新聞でいっせいに報じられた,「大学院の博士課程の学生数を減らすべきである」という方針を文部科学省が国立大学に伝え,国立大学サイドもそれを了承したというニュースです。

 (中略)

 新聞記事を読んでいて非常に疑問なのは,「定員は減らしますよ」という方針と,そもそも大きな国策としてやっていた「大学院重点化政策」の関係性がまったく報じられていないことです。つまり文科省は,その方針とこれまでの政策との整合性について何も話していないということなんですね。はっきり言えば政策的に迷走しているということです。今お話ししたことは,ちょっとした政策の混乱ということにはとどまらない問題であると思います。それはつまり,大学というものが社会全体の中において一体どういう機能を果たすべきものなのかという問題について,国家もうまい処方箋を出すことができていないという現状なのです。

 一方で,本屋さんに行くと,大学論についての書籍がたくさん並んでいます。いわゆる有識者たちがこの混乱した状況に対して言っていることは,答えとしてはワンパターンというかんじがします。「教養を復権しなければならない」。教養的なものを復権して,基礎学力――基礎学力の低下がよく言われていますから――をしっかり立て直さなければならないということで,有識者たちの意見は一致しています。

 そういうことで,方針としては意見の一致が大勢においてでているにもかかわらず,現実においては非常に混乱した状況にある。――というのが私の見方です。(pp.130-131)

 

 この後,講師の仲正氏が,「マルクス主義的教養主義」(あるいは「教養主義的マルクス主義」)を取っ掛かりとして,日本と西欧近現代思想史における「教養」の布置について丁寧な解説を進めていくのですが,途中,上記の白井氏の発言を受ける形で次のように語っています。


 1991年の大学院設置基準の改正(大綱化)にともなって,大学のカリキュラムにおける教養課程と専門課程の区分が廃止されました。(旧)文部省の言い分としては,それは「教養」を軽視しているからではなくて,大学四年間の教育全体をとおして教養教育が行われるようにしたいという趣旨だったというのですが,実際には,ほとんどの大学が「役に立たない」ということで評判の悪かった教養課程廃止の方針を打ち出し,教養科目を思いっきり圧縮するようになりました。

 そして,それまで教養課程を担当していた先生たちのポストを使って,国際◯◯学部とか,文化△△学部,社会□□学部など,いわゆる「四文字学部」や,それと同じような名称の大学院を作るようになりました。教養の先生をそのまま配置転換する場合もあれば,定年になるのを待って,ポストだけ新設部局に移すこともあります。大学院担当教員の数を増やすと,大学院生も増やさなければならない。

 その当然の帰結として,一,二年の教養教育においてそれまで中核的な役割を果たしてきた語学教育が重視されなくなり,授業時間が短縮されます。(pp.161-162)

 

 さらに引きましょう。

 『責任という虚構』や『社会心理学講義』などの名著で注目される小坂井敏晶氏(パリ第八大学)の『答えのない世界を生きる』(祥伝社,2017)からです。


 本書は,2003年に現代書館から刊行された『異邦人のまなざし在パリ社会心理学者の遊学記』という本の改訂版です。

 

 小坂井氏の「はじめに」の解説によりますと,前書の内容を一般化して,考えるための道しるべとして大幅に書き直したそうです。また,異邦人や少数派が果たす役割をより掘り下げ,開かれた社会の意味を考察したとのことです。

  

 「第3章文科系学問は役に立つのか」のなかで,フランスの大学教員の実態や大学改革の流れを詳しく紹介していますので,後ほどあらためて取り上げることになりますが,ここでは日本の現状についてふれている箇所だけを見ておきます。

 

 〜現在のセンター試験に代えて2020年度から実施される「大学入学希望者学力評価テスト」には記述式問題が一部導入される予定だが,四時間で10頁以上,小論文形式で答えるフランスのやり方とは比べものにならない。開始と終了の時刻を秒刻みで計るように,形式的な客観性や平等に日本では異常なほど注意を払う。こういう「平等社会」の評価精神が研究の画一化を加速させるのは想像に難くない。

 日本では大学教員の評価システムが定着し,競争の時代になった。講義シラバスの公表を義務づけ,授業内容を学生が評価する大学がほとんどだ。インターネットを検索すれば,教員の業績がわかる。発表論文や著書,受賞歴などがリストになって出てくる。そしてマスコミや政府が競争を煽る。(pp.128-129)

 

 また,1995年初版発行のロングセラー『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)で,比較社会学の視点から,戦後日本の教育と社会とのむすびつきの形成と変容について詳細な分析を試みた苅谷剛彦氏(オックスフォード大学)は,「朝日新聞」(2018年3月20日,19面)紙上で次のように述べています。

 

 〜過去の教育の欠陥を前提に理想を掲げて現場に下ろすが,人,モノ,カネはかけない。日本の教育改革はその繰り返しだった。

 いま必要なのは現場に密着し,その実績から,何ができ,何ができなかったかを検証することだ。実際に結果を残してきた実践とは何だったのか。日本の教育の強みと弱みはどこにあるのか。抽象的な理想を掲げ,わかったつもりで突き進むより,現場の現実や実績と向き合うことからしか,有効な改革の糸口は見つからない。

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